中国街角ウォッチ

中国街角ウォッチ(第31回)

2009.10.8

都内に住む私の上海出張は、最近になって成田~浦東を使わず、羽田~虹橋のシャトル便を使うことが多くなった。それは自宅から成田への距離や時間は別として、上海についてからの移動が、上海市内はもとよりその延長線上の蘇州、無錫に行くのにも、虹橋からの方が明らかに便利だからである。

浦東開発は1990年に国務院決定により始まったのだが、浦東国際空港の開港は99年になってからで、日本からの空路はその時からほぼ100%浦東に着くことになった。その間にも私は何度となく上海を訪れ、黄浦江の地下トンネルを抜け、浦東にも足を踏み入れたものだった。そして今ここでなぜ「浦東開発」なのかと個人的には苦々しく感じた時代でもあった。

その昔、国際的な都市と謳われ、多くの外国人を魅了した上海とは、現在の「浦西地区」であり、当時の浦東地区は農村と湿地帯にすぎなかった。浦東国際空港から伸びるリニアモーターカーはわずか全長30キロメートルで、ほんの数秒の最高時速430キロを味わう程度。8分間のあっけない搭乗は何とも物足りない。終点の竜陽路駅からは浦西行きの地下鉄がある。上海を訪れる多くの客は浦東を目指すのではなく、浦西にあるかつての上海か、その先の蘇州や無錫、杭州などに向かうのである。

浦東開発がまだ始まっていない時代に、かつて上海で学んだという私の上司と旅したことがあるのだが、彼は昔ながらの浦西地区のメインストリート「南京路」に立ち、「むかし美人だった上海は、いまや化粧も落ち、年老いてしまったね」と述懐しておられた。そして田園の広がる浦東地区を歩きながら、「上海を再び昔の美人に戻すにはかなりの資金が要るだろうが、ここなら安く済むかも知れないね」と何気なく語った。

浦西地区のバンド(外灘)から黄浦江を挟んだ対岸の浦東地区が、テレビ塔や森ビルなどの超高層ビルで埋まり、すっかり大都会化したのを眺めると、中国の発展を象徴する景色であると確信する一方、何となく政治的な臭いを感じてしまう。

90年代末、私は北京のジェトロに勤務しており、浦東開発区から呼ばれて日系企業を誘致するにはどうしたらいいのかというタイトルで講演した。講演会場は100人以上の関係者で埋まり、立ち見席まで出るような熱気の溢れ様。それはまた当然であって、浦東開発は中央にとって一大プロジェクトであり、多くの人材を投入して外資誘致を図っていたのだ。開発区がスタートし、華々しい宣伝が繰り広げられ、日本にも企業誘致のための代表団が複数回派遣され、各地でセミナーが開かれた。

ところで、東京芝公園のホテルで今週開かれた「蘇州高新区、日本企業進出400社突破記念式典」には400人あまりが集まり、たいへん盛大だった。こうした他の開発区と比較すると、浦東開発区はさまざまなハンディキャップのため、企業誘致は理想的にはいかなかったようだ。各国から多くの参観者が訪れたのは確かだが、その売出価格が高かった。多くの参観者は黄浦江を渡り、浦西地区を抜け、さらに西へ向かった。それが上海郊外の松江区であり、蘇州であり、無錫などであったのだが、当時この辺りの価格は浦東地区の半値程度であったものだから、多くの企業が集中して進出することになったのである。

私はそうした現象を「浦東効果」と言ったものだが、その点から見れば浦東開発の真の目的は外れたかもしれないが、政府にとって見れば西側周辺の農村地区に作った工業開発区が高値で販売され、その発展にともない華東地域全体の不動産価格が大幅に上昇したことは確かであり、結果的には成功したように見える。

実際に、すっかり年老いたと言われた「浦西地区」も再開発が進み、今はすっかり若返り、再び世界的な国際都市に変貌を遂げたのである。政府の描いたビジョン通りにはいかなかったが、浦東開発で金儲けをたくらんだ政府としては、一応の目的は達したと総括されているのかもしれない。しかし、浦東地区そのものの発展見通しについては、黄浦江に隣接した一部地域を除き、明るくないようにも感じられる。

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