中国街角ウォッチ

あのころ・そのとき「上海万博のことなど」

2009.1229

開幕まで200日をきった万博会場で、いまオープンに向けての工事が急ピッチで進められている。日本館(通称:紫蚕島=かいこじま)の工事現場に詰めている知人の技師は、年内に本館の引渡し、年初から内装工事に入るとその進捗状況を伝えてきている。

日本の出展はこの政府館のほかに、堺屋太一さんが代表を務める日本産業館が浦西会場の元江南造船所跡に、“水の都・大阪”を演出する大阪館が「ベストシティ実践区」に姿を現す。

大阪万博の仕掛け人であり、92年のセビリア万博・日本政府館のチーフプロデューサーもつとめた堺屋さんは、公式入場者目標7千万人をはるかに上回る1億人と予測、1.3億人に化けるかもと強気の見込みを述べておられるが、かれの上海万博への思い入れはそれだけの年季が入っている。

上海が改革開放の道を歩み始めたばかりの85年、堺屋太一さんは長銀の関係者を連れて上海を訪れ、万博開催の提案(100億円の融資付)をしている。市内視察でまだ空き地が目立ついまの古北地区に目をつけ、ここを会場にとリクエストしたのであったが、上海の都市計画ではすでにいまの外交・ビジネス区と立案されていて、代りにまだ橋の一本も架かっていない黄浦江の対岸・浦東の花木郷一帯を会場にとプロポーズされた。アクセスをどうするのか、さすがの堺屋さんもこの提案には乗れず、時期尚早と引き揚げたのであった。

このとき応対した専門家たちは、90年以降浦東開発や南浦大橋の建設、南市区(現黄浦区)の都市改造にかかわる。90年開催の大阪花博へは、上海市から3名の職員が派遣され、博覧会運営の実務研修を受けることになる。

元上海市長の汪道涵さんは、「1988年10月31日」の書き出しで始まる『浦東行』と題するエッセイを<「小説界」89第一期>(訳載「上海経済交流23号」) に書いている。このなかでかれは上海万博について次のように述べている。

「専門家たちは、浦東新区の開発と本世紀末にここ(花木郷)で<21世紀に向けた>上海国際博覧会を開催することを結合させ、上海の全世界に対する影響力を拡大し、上海の外向的経済発展を推進し…」

上海の鄧小平とも目された汪道涵さんの夢が、いまここに実を結ぶ。

会場予定地はその後二転三転し、上海が2010年の万博開催に立候補したのは2001年の5月であった。その年の7月に2008年の北京五輪開催が決定している。

それは東京五輪開催後に立候補した、大阪万博の経緯にオーバーラップする。

そして、翌年の12月モナコで開催された総会では下馬評をくつがえし、3回目の投票でついに2010年の上海開催の切符を手に入れた。

 その夜の上海市民の熱狂ぶりは、『新民周刊』(12月9日号)で立体的・時系列的に伝えられ、日本でそれを手にしたわれわれも思わずこぶしを挙げたものであった。

会場となる南浦大橋と蘆浦大橋の間の黄浦江両岸域は、元南市区とその分区の地区であり、旧上海城(オールド・シャンハイ)の古い街並みと小企業・工場が林立していた。80年代から交流のある上海の専門家のほとんどは、いまでは第一線を退いているが、大阪南港地区を視察したかれらがその後南浦大橋を設計・施行し、黄浦江のウオーターフロント緑化を企画したのであった。この万博会場の決定と整備は、上海の都市計画担当者の長年の夢であり、それがいま新しい息吹のなかで甦ってきている。

堺屋太一さんが手がける産業物産館もそのひとつ。

1865年に李鴻章が創設した江南造船所跡をリユース(再利用)してスペース(超空間)を構築、パルス(脈動)は新造するよりも54トンのCO2 を削減して「ベターライフ・フラム・ジャパン(日本が創るよりよい暮らし)」を伝える。

中国のGDPは間もなく日本を抜いて世界第二位になるだろう。ひとりあたりのGDPは昨年末で3,000ドルを超えたが、世界の103位でまだ日本の十分の一以下である。しかし上海はすでに1万ドルを超えて日本の80年代前半、台湾・韓国の90年代前・後半の水準に達している。超格差の中国社会で、年収一千万元以上の富豪が一万人に六人はいるという、このアンバランスをどうみるのかという問題は残るが、この上海万博にアメリカの出展参加が一番遅れたのは不思議な気もする。

いま192国家と49の国際組織が参加して、パビリオンの建設に最後の追い込みをかけている。台湾地区は上海万博組織委員会の要請で、大阪万博以来40年ぶりの参加(「台北世界貿易センター」名義)となる。

大阪万博開催の1970年は日中国交正常化の2年前、まだ中国の参加は実現していない。わたしたちは当時“台湾館反対”を叫んで、機動隊に囲まれながら 茨木市の中国物産展会場から万博会場南ゲイトまでデモ行進した、古い思い出がある。40年前はまだそのような状況であったことも、堺屋太一さんとはその歴史を共有することができるであろう。

上海万博は2010年5月1日に開幕する。

この日を上海の古い友人・知人と祝したいものである。(Bros Business 12月号)

執筆者・はらだ おさむ(原田 修)

【執筆者略歴】 大阪外大仏語科卒業(1957)後、中国ビジネスに取り組むこと半世紀。 前半の25年は輸出入、委託加工、「大中国展」催事(主宰)など。後半の25年は対中投資、進出企業の経営管理などのアドバイザー。初訪中(1964)のあと200余回の訪中&中国を周辺諸国から観察の旅。会社役員、団体役員を歴任。数年来「市民講座」などの常連講師のほか、『中国ビジネスえとせとら』、『徒然中国』を業界紙などに連載・送信中。

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