中国街角ウォッチ

あのころ・そのとき「~開幕で、金(きん)~」

2010.6.25

 上海万博開幕の前夜 ヤフーで「上海万博」と検索したら、公式ホームページに続く2ページの中ほどに、「もう こころは4年先に…」とのコメントがついたわたしの名前があった。何を書いたのか、記憶がすぐには戻らない。クリックするとつぎの一文が出てきた。

 「もう こころは4年先に向かっている。サッカー・ワールドカップのことだけではない。2010 上海で万博が開催される」(06年6月13日 記)

 たしかにこれはわたしの書いた一文だ。

 興に乗ってさらに「上海万博 はらだおさむ」で検索してみた。二十数件がヒットした。同じ文がいくつかの媒体に転載されていたので、オリジナルは5件、そのなかの2件でわたしはそのスローガンを「ベターライフ ベターシティ」と書いている。

 「ベターライフ ベターシティの上海万博まであと4年。地中で春を求める虫が蠢いている」(春よ…「日中公論」06年3月2日)

 「あと5ヶ月あまりで『上海万博』は開幕する。そのスローガンは『ベターライフ ベターシティ』、…」(20年という年月『徒然中国 其之二十一』09年11月26日)

 他の三件は中国語、英語、日本語のスローガンを全て紹介しているので、「ベターシティ ベターライフ」と逆になっている。わたしが書き誤ったのであるが、わたしのあたまのなかでは「良い生活があって、良い都市=国家が存在する」というイメージがこびりついている。主権在民ということか、フランスの国歌「ラ・マルセーユ」では「♪オザールム シトワイヤン♪(市民よ 武器をとれ)」と歌う。フランス革命でブルジョワ政権から権力を奪取した「市民」(シトワイヤン)は、シティズンと語源を同じくし、その市民が「シティ(都市)」を構築する原動力となる。

 上海万博のスローガンはなぜ「ベターシティ ベターライフ」なのか、わたしは上海の友人にメールで尋ねてみた。

 答は、はじめに中国語のスローガン「城市 譲生活更美好」ありき、であった。大学の英語の先生が、この中国語から英語のスローガンを提案して、決定されたのだという。大学でビジネス中国語を教えている知人(日本人)にも聞いてみた。この中国語を日本語に直訳すると「都市 生活をより素晴らしく~さらに素晴らしい生活を」となるだろうが、これを英語の、それもスローガンとするならばそれはやはり「ベターシティ ベターライフ」しかないのではないか、とのことであった。

 日本語のスローガン「より良い都市 より良い生活」は、英語の直訳である。

 英語の「シティ」が中国語の「城市」になったいきさつは、わたしは知らない。しかし、たとえば上海の旧南市区の「オールドシャンハイ」も倭寇など外敵の侵略から住民を守るために城壁が張りめぐらされていた。北京も、西安も「城市」はすべて城壁で囲まれた「城郭都市」であり、城壁の外は農村や郷鎮で、その住民は保護の対象外であった。それはいまの「都会戸籍」と「農村戸籍」の区分に通じる発想でもあろう。

 このスローガンには、以下の説明がついている。

 【1】多様な文化の融合 【2】経済の繁栄 【3】都市技術の「革新」 【4】都市コミュニティの再構築 【5】都市と農村の連携

 これは、万博の開催を通じて実現したいとするサブタイトル、換言すればその「実施要綱」とでもいうべきものであろう。「城市 譲生活更美好」の主語は、あくまでも「城市」、すなわち上海市となる。

 今回「浦西会場」で日本産業館を主宰する堺屋太一さんは、ご存知、「大阪万博」の仕掛人。84年に当時の長期信用銀行からの百億円の融資付で上海に万博開催を提言されている。「この構想は人を興奮させる」と当時の汪道涵・上海市長は書いておられるが(『浦東行』)、まだ橋もアクセスもない浦東の花木郷を会場にと示された堺屋さんたちは時期尚早とギブアップ、26年の歳月が流れた。

 わたしは82年から大阪と上海の専門家による上海の街並改造共同考察の事務方を務めていたが、そのころ上海の関係者から万博会場の予定図などを見せていただく機会があり、以後「上海万博私設応援団」のひとりとしてこの開催を心待ちにしてきていた。99年の立候補、そして02年には下馬評を覆して四回目の決選投票で上海に開催が決定した時、友人たちとこぶしを上げて快哉を叫んだものである。上海市の都市計画や経済の改革開放の実務を担当する友人・知人たちは、すでに南浦大橋建設などのインフラを推し進めており、会場予定地の立ち退きとその整備計画を煮詰めていた。この人たちにとって開催の決定は、十数年間の準備作業の峠を上りきったことを意味していた。あと開幕までの数年間は万博事務局が前面に出るが、「城市」としてのハードは地下鉄を含むアクセス~「足」の整備であり、ソフト面では「市民への教育」があげられた。

 上海の古い街並は改造され、高層ビルやマンションが増えてきているが、遺されなければならない歴史的建造物や街道などもあり、すべてを「上海新天地」や「豫園」のように改造するわけにはいかない。屋外で洗濯物を干すなといっても物理的に無理なところもあり、蒸し暑い上海の夏にランニングにパンツ姿で夕涼みをするなといわれても、それは無理というもの。パジャマ姿で外に出るなともいわれたようだが、屋内で裸姿の人にとって「パジャマ」は寝巻きではない、日本的感覚ならそれは「ゆかた」に匹敵するもの、「ハレ」の服装と見てあげたい気もするが、「お上」はこと細かく「七つの建設」「文明行動計画」を提示して市民の教育に汗を流す。

 それは「ベターライフ」が「ベターシティ」を構築するのではなく、主語の「ベターシティ」が「ベターライフ」を提供するために市民を教育・監督する、そんな構図とみてとれようか。

 上海市の一人当たりのGDPは、90年対比で見ると08年には8倍強の一万ドルを超えており、長江デルタ経済圏(上海・江蘇・浙江)の08年におけるGDPはすでに韓国を凌駕している。上海の交通網はこの経済圏を取り囲み、都市計画の基本構想は「上海万博」のはるか先を描き出している。このスローガン、「城市 譲生活更美好」は上海市にとどまらず、長江デルタ経済圏の将来をも見つめているといえよう。

 開幕からすでに一ヶ月以上が経過した。

 11月末までの会期・半年間の入場者総数(予測)は七千万人で、大阪万博の六千四百万人を大きく上回ると見込まれている。開幕当初は予測をはるかに下回り、一日十万人を割る日もあった。はじめチョロチョロの出足であったが、なかパッパと次第に盛り上がりも見せており、5月は計八百万人、6月5日には累計で千万人を超えたという。団体客が30%近いとの報道もある。

 先日NHKのアーカイブで「大阪万博」の光景を見た。地方からの団体客が二泊三日あるいは三泊四日と旅行社に引率されて参観に来ている。和服姿の婦人も多く、この万博以後自動販売機やファミリーレストランが普及、歩く歩道も この時がはじめてと知って、へぇ~四十年前はそうだったのと、昔日の感におそわれた。

 あのときは中国とはまだ国交が正常化されておらず、「中華民国」館が出展されていた。わたしたちは会場外で「中国物産展」を開催、「台湾館粉砕」と抗議のデモ行進を繰り返した。会場へは一度だけ入ったが、どう過ごしたか記憶が定かでない。

 上海の友人・知人ですでに万博会場へ足を運んだ人もいるが、「入場」は地方の人に譲ってもっぱらインターネットやテレビなどでウオッチングしている人もいる。「開幕で、金」、入場者が七千万をクリアしようが、大阪万博より少なかろうが、それはあまり関係がない。ハードはすでに完成した、ソフト面の目標がどの程度達成されるかで金メダルの数が増えると見ている人もいる。

 十一月末の閉幕まで、まだまだ報告する話題が出てくることだろう。

 執筆者・はらだ おさむ(原田 修)  

 【執筆者略歴】
  大阪外大仏語科卒業(1957)後、中国ビジネスに取り組むこと半世紀。前半の25年は輸出入、委託加工、「大中国展」催事(主宰)など。後半の25年は対中投資、進出企業の経営管理などのアドバイザー。初訪中(1964)のあと200余回の訪中&中国を周辺諸国から観察の旅。会社役員、団体役員を歴任。数年来「市民講座」などの常連講師のほか、『中国ビジネスえとせとら』、『徒然中国』を業界紙などに連載・送信中。

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