中国街角ウォッチ

あのころ・そのとき「~いつか来た道だろうか…~」

2010.7.28

~いつか来た道だろうか…~

 50年ぶりに「所得倍増政策」なる言葉に出会った、日本ではない、中国のことである。

 50年前のあのときは、「60年アンポ」のあと登場した池田内閣が、この「所得倍増」なることばを使って、アンポで荒れた民心の融和策のひとつとしてこの政策を提唱した。中小商社勤務4年目のわたしは、経済団体の異業種交流会で「労働所得分配率」なることばを耳にして会社の資料を分析、社員の所得倍増を実現する経営計画を提言したものである。池田勇人首相は「貧乏人はムギメシを食え」と失言して顰蹙(ひんしゅく)も買ったが、この「所得倍増」は日本経済の高度成長の出発点となった。

 中国の場合、その経済政策の転換は「天安門事件」の翌年に発表された「浦東開発宣言」がそれにあたり、92年のトウ小平の「南巡講話」で火がついた。中国のGDP(国内総生産)はまもなく日本を抜いて世界第二位の経済大国になる。その中国がいまごろになってなぜ「所得倍増」なのか。人口が14億に達する中国にあって、億万長者も多いが、一人当たりの平均所得がまだ4千ドルを越えるかという低所得者であふれている。来年からはじまる五カ年計画の策定でこの所得倍増政策が織り込まれることになったが、それを推し進めたひとつの流れが、外資の労働集約型企業における労働争議―ストライキの胎動であった。

 80年代の中ごろ、大連の日本工業団地ではじめてのストライキがあった。

 M社で女子工員の体調不全が原因でラインがとまり、その工員への厳しい処罰に同情する罷業が全工場に広がった。日本の本社からも責任者が駆けつけ、大連市人民政府や工会(労働組合)の上部団体とも協議のあと、スト首謀者を解雇し、以後同様の事態の場合は刑事罰の適用もあると条例の改正も行われたと聞く。

 中国の総工会は国の行政(権力)組織のひとつであり、いまの王兆国主席は中国共産党の序列11位の中央政治委員兼全人代常務委員会副委員長でもある。改革開放前の国営企業にあっては、工会(労働組合)は企業の“福利厚生”部門を担当、文字通りの“ゆりかごから墓場”まで労働者の面倒をみる組織であった。90年代にはいって国営企業の民有化が進められ、外資企業にも工会(労働組合)の設立が要請されるようになってきたが、その実体は以前と変わりのない福利組織(互助会)であり、企業も負担義務(賃金総額の2%)のある工会費はかなりの部分が上納され、“労働貴族”を培養してきている。

 工会の組織率は高いが、戦わない組織は労働者の味方とはいえないであろう。

 今回の広東省の日系企業のスト現場の写真を見ても、公安(警察)と一緒に ストに参加の労働者を取り囲んでいるのは工会やその上部団体で、その構図は大連のM社と同様である。しかし、ストに参加の若者たちは、携帯やインターネットで情報を交換、周辺の関連企業にもスト参加を呼びかけ、親企業にも波状攻撃をかけて、賃上げや労働環境改善の成果を勝ち取ってきている。

 何が変わったのか。

 中国の労働事情の変化である。

 いまや中国は労働力不足の市場である。

 二年前から実施されている新「労働契約法」は、中国の労働行政が「外資優遇路線」=「労使協調路線」から「労働者擁護路線」への転換を図るものであった。各地で最低賃金引き上げの指示が矢継ぎ早に出されているが、今回のストで労働者の賃上げ要求を認めて収束を図った日本企業の管理者に、この労働事情の変化が読み取れていたのかどうか。

 日本が「所得倍増」政策をとった60年代から80年代にかけて、総評をはじめとする労働組合が労働者の権利擁護を全面に押し出し、ときには交通機関も巻き込むゼネストも敢行して賃上げを勝ち取ってきた。そのころ組合の組織率は30数パーセントを越えたが、企業内労働組合の労使協調路線が次第に強まり、企業の生産性向上の旗の下、労働組合は「連合」して経営組織の一部となり、中国の工会同様の機能になってしまった。企業には派遣社員や契約社員が増え、景気に連動する労務対策が日本企業の主流となった。そして日本の労働組合の組織率は、いまや10数%に低下してしまっている。

 こうした日本での感覚が在中国の日系企業の労務管理担当者にもあるのではないか、おそらくストの経験は皆無であろうし、労働者と連帯した経営管理ではなく、労働者をモノ、ラインをつなぐ端子としてしか受けとめていなかったのではなかったか。

以下はネット上で拾った労働者(80后)の声である。

 「5月17日のストライキの日 日本人の管理者はまず仕事にもどれと言って来た、要求は5月24日に回答すると。もし仕事に戻らないと解雇するぞと、ぼくらは仕事に戻った。要求も書き出した、なのにこっそりと指導者を割り出して解雇してしまった、だから21日にもう一回ストライキを実行した。日本の管理者は写真を撮って工員章を取り上げ、早く仕事に戻れと脅かしてくる。工会がなすべきことがあるだろう!毎月5元の工会費を徴収して何をしている?22日 日本の管理者はストライキを扇動した二人の工員を解雇して、恫喝してきた。24日 生活手当てを65元から120元に引き上げた、契約書にサインを迫り恫喝する。これがあんたらの誠意なのか、これがストライキを続行する二つ目の理由なんだ!」

 現場の雰囲気が絵に書いたように分かる、そして彼(氏名なし)はそのホンネを次のように綴っている。

 「ぼくらの親の世代は安い労働力が支配してきた、だけどみんな年老いてきた、徐々に労働市場から退場しつつある。それに代わったのが、ぼくら80~90年代生まれの世代。親の世代と同じ道を歩み続けなければならないのか?いいや、きっとこう思っているに違いない、自分が歩んできた道は歩ませたくないと!その道がどれほど辛いものなのかを知っているからだ、ぼくたちだってそんな道は歩みたくない!時代はもう変わっているんだ!」

 このストに参加したのは十代から二十代の青年労働者、権利意識の強い新世代の若者たちである、たとえクビになっても転職口はいくらでもある。工会(労働組合)が会社とグルになっていることがわかったら、第二組合、自主労組をつくるのに躊躇しないであろう。共産党系のシンクタンクなどが工会の団体交渉権を認めようとするのもこうした動きとは無関係ではあるまい。

 日本の所得倍増は労働争議のなかで実現し、80年代の末まで高度経済成長が続く。労働組合の「連合」が成立、労使協調路線が定着した90年代から日本のバブルがはじけ、低迷し鬱屈した、活気のない日本の社会が今日まで続いている。

 中国の所得倍増政策は、これからはじまる。

 低所得者の農民工の賃金が倍増すれば、内需が70~90%増える、という観測もある(田中 宇「国際ニュ-ス解説」)。クルマや電化製品、流通業など中国の内需に期待する企業は目先にとらわれず「所得倍増」に対応すべきであろう。進出企業の大半は政府の最低賃金引き上げを見込んでそれぞれが早い目に対応、中国経済の先行きにゴーサインを出している。

 最後に日本の政治家にひとこと。

 ひとつは菅総理がG20の席上、胡錦涛国家主席にホンダなどのストに懸念を表明したこと(6月28日「サーチナ」)。これはわたしの解説のように要らぬ懸念、誤解である。「カン違い」も甚だしい。情報源は知らないが、うわっすべりの発言は政治家として慎むべきもの。ましてこの発言でホンダの株価が一時的に上がったのは、意図的ではないにしても口が軽すぎる(財務相就任時の為替レート発言の前歴もある)。

 河野洋平前衆議院議長も国貿促訪中団の団長として北京訪問時、王岐山副首相に、スト多発による中国の投資環境の悪化に懸念を表明(「日経」7月11日)しているが、これもお門違いというもの。王副首相は「発展に伴い労働コストなどの問題が出てくるのは自然なこと」と指摘、「中国の投資環境全体に影響を与えるものではなかった」と述べている。

 中国への進出企業はたとえ独資であれ中国政府に認可された中国法人である。日本の政治家が、進出企業の対応にいちいち口を挟む必要があるのか。何か一部の新聞情報のみによる発言と思われるが、軽率である。

 外務省なり、その他の政府機関はもっと正確な情報を政府や政治家に上げるべきであろう。政治家の恣意による対外的発言は慎重であらねばなるまい。

執筆者・はらだ おさむ(原田 修)   

【執筆者略歴】
 大阪外大仏語科卒業(1957)後、中国ビジネスに取り組むこと半世紀。前半の25年は輸出入、委託加工、「大中国展」催事(主宰)など。後半の25年は対中投資、進出企業の経営管理などのアドバイザー。初訪中(1964)のあと200余回の訪中&中国を周辺諸国から観察の旅。会社役員、団体役員を歴任。数年来「市民講座」などの常連講師のほか、『中国ビジネスえとせとら』、『徒然中国』を業界紙などに連載・送信中。

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