中国街角ウォッチ

あのころ・そのとき「~もうケンカはすみましたか~」

2010.12.27

 ~もうケンカはすみましたか~

 一九七二年九月。日中国交正常化交渉に臨んでいた田中首相と大平外相は、周恩来総理などと「歴史認識」問題や世界情勢などについて激論を交わしていたある夜、毛沢東主席の突然の招きで中南海の書斎を訪問した。

 会談に同席した二階堂官房長官の「会話全録音」によると、<毛沢東:もうケンカは済みましたか。ケンカをしないとダメですよ。田中:周首相と円満に話し合いました。毛沢東:ケンカしてこそ、初めて仲良くなれます>とのやりとりがあったとされている(下記矢吹論文紹介の『週刊現代』掲載)。このエピソードは、あのころよく耳にしたものである。

 矢吹晋さん(21世紀中国総研ディレクター・元横浜国大教授)はホームページに「田中の迷惑、毛沢東の迷惑、天皇の迷惑」と題する長文の論考を発表されているが、おなじ漢字でも中国と日本で「迷惑」の意味することが異なり、それが日中国交正常化交渉難航のキーポイントであったことを論証されている。

 あれから四十年近い月日が流れた。

 大阪万博から上海万博への道のりは、中国が文革を経て改革開放から世界の大国へと驀進する「大躍進」の月日であった。

 この間、「政冷経熱」の時期もあったが、日中間の貿易額は輸出入とも中国が日本の第一の相手国になり、中国がクシャミをすれば日本が風邪を引く状況が続いている。

 わたしが日中ビジネスに参画した一九五七年の日中間の貿易総額はわずか一億ドルに過ぎなかった。岸内閣の「対中敵視政策」による“長崎国旗事件”で民間の“友好貿易”が数年間途絶する時代もあったが、わたしたちは交易と交流の拡大が「日中不再戦」の両国関係を構築し、未来永劫の「日中友好」をつくりあげると信じていた、いやいまでもそう信じているが、このたびの「尖閣事件」はなんであるか。

 一昨年の5月に胡錦涛主席を国賓に迎え、福田首相との間で署名された共同声明:「戦略的互恵関係」(通称)ではあるが、首脳間のホットラインはまだ構築されていない。米ソ対立のあのときでさえ、キューバ危機ではケネディとフルシチョフのホットラインは通じていたことを思い出すと日中間の「政治処理」はまだ成熟していないのではとも思う。

 わたしは9月22日から2回目の上海万博へ、それも今回は団長として20名ほどのメンバーを引率して出かけていた。旅行中、添乗員の国際携帯電話に日本から十月の旅行のキャンセルの申し出が続いた。中国では何もないのに・・・と添乗員はボヤイていたが、そう、05年のあのときも、成都でイトーヨーカ堂が「反日暴徒」に襲われ、われわれの九賽溝の旅も参加者が半減したことがあった。上海では限られた情報しかないタクシーの運転手が、「お客さん、本当に中国は日本と戦争するんでしょうか」と心配気にわたしに尋ねたことがある。

 上海万博の会場でも、上海の街角でも、わたしたちは愉快に、楽しく交流ができた。帰国の日、船長が釈放されたことを耳にした。帰国後、船長は中国のチャーター機で「愛国者」として、ふるさとの福建省に凱旋したことを知った。なんたること・・・、わたしはネットで情報を集めた。そして、下記の記事を目にしたのであった。

 「酒乱船長」であったことは、海保から那覇地検に船長の身柄を引き渡す時点で「酒臭かった」と伝えられている(ウイキペディア)。

 ◎尖閣問題“燎原の火”を点けた「酒乱船長」の暴走  藤田洋毅/ジャーナリスト( 10月5日(火)11時58分配信)

 「事件の実態は、酒鬼(酒乱)の暴走に過ぎない。だが、日本は一歩踏み込んできた。妥協する選択肢は、ありえなくなった」――中国国務院(中央政府)の幹部は、深い溜め息をついた。

 「事件直後、事態がかくも拡大・深刻化すると予想する声は、(中国側には)ほとんど無かった。しかしながら、日本の以前とは違う対応に、しばし戸惑い考え込んだ」

 この幹部が言う「以前」とは、2004年3月、中国人活動家7人が尖閣諸島に上陸、沖縄県警が入管法の不法入国容疑で逮捕したものの2日後には処分保留で強制送還した過去を指す。靖国神社参拝をめぐり中国と緊張していた小泉内閣ですら、超法規的に処理していたからだ。

 幹部は、以前よりやや時間はかかるかもしれないが、最終的に日本は前例にならい船長を強制送還するだろうと、逮捕の時点でも「まだ楽観的だった」と吐露した。事件後、中国は直ちに在京の大使館員らを石垣島に派遣、8日午後に海上保安部で初めて面会した後、連日、船長・乗組員から事情を聴いた。船長自身の供述や、漁船の母港である福建省晋江などの情報を総合し、「真相が分かれば、別の落としどころが探れるかも知れない」と期待したのだ。幹部は楽観論の根拠となった“真相”を列挙した。

 セン船長は地元関係者の間ではかねて「習慣性酒精中毒(アルコール中毒)の酒鬼」で知られ、「事件の際にも白酒(アルコール度の高い中国製ウオッカ)をあおり泥酔していた」「14人の乗組員は、今回の出漁に際し臨時募集したメンバーで、乗船するまでお互いの名前すら知らなかった」「事件当時も、乗組員は皆、割り当てられた持ち場で作業中だった。操舵室で舵を握る船長に声をかけたり注意したりできる乗組員はいないし、もともとそんな必要も雰囲気もなかった」

 勾留延長に当初の楽観論は吹き飛び、中国は「激烈に反応するしかなくなった」。

 訴訟され日本の国内法を適用した判例が確定すれば、「中国の領土である釣魚島」における日本の司法権を認めるに等しい。一九七八年、尖閣諸島をめぐりトウ小平(トウは登におおざと)が唱えた「領有権論争は棚上げし共同開発」との暗黙のルールを、「日本は公然と踏みにじり、正面から我が国に挑んできた。実効支配を強めるばかりか、酒鬼の暴走という些事をテコに法的にも足場を固めようと攻めてきた」と中国は受け止めたのだ。

 「ここで引き下がったら李鴻章になってしまう」―― (中略)

 腰砕けの外交をさらけ出した日本、荒っぽく非理性的な外交を国際社会に印象づけて脅威論に新たな市場を与え、異質さをあらためて際立たせた中国――どちらも傷を負った。結果的に笑ったのは、日米安保体制を強化し南シナ海など中国が関わる領有権紛争に介入しようとしている米国だけだ。

 (時事ドットコム・新潮社ニュースマガジン提供「Foresight」より抜粋)

 十一月上旬 わたしは某シニアカッレジの3回生と4回生に「上海万博のきのうとあす」のテーマで講義すべく、そのレジュメを事務局に送った後に「SENGOKU 38」署名の映像がネット上に流れた。わたしは参考資料として前掲の記事(抜粋)を事務局に送信、受講生に配布していただくようお願いしたのであった。

 事件が発生してからまもなく三ヶ月になろうとしているが、いまだに気分がさえない。わたしは、この事件の発端のとき新聞はどう伝えていたのかと気になり、図書館に出かけて9月8日~10日の五紙(日経、読売、産経、毎日、朝日)の朝夕刊を調べた。結論は、日本政府(特に官房長官)の判断ミス、ボタンの掛け違いが、この事件を一層複雑なものにしてしまったと理解した。

 事件は9月7日の午前中から発生している。海保(幹部)は「われわれだけで(立件を)決められる問題ではなかった」(「産経」9月8日朝刊)、仙谷官房長官は外務省(岡田外相=当時、はベルリンへ出張中)と海保の幹部を集め、協議。「中国に毅然たる態度で」と逮捕を指示(「朝日」8日朝刊)、8日未明洋上で船長を逮捕した(8日各紙朝刊)。8日の日経夕刊は「官房長官は外交上の配慮はなかった、今後の日中関係に影響が出るとは思わない」との談話を掲載している。日本政府は中国にどのようなメッセージを出したのか。

 7日夜外務省の斉木局長は電話で程中国大使に「違法操業は遺憾」と表明、逮捕の方針を伝えた(「読売」「朝日」8日朝刊)。北野審議官は劉公使参事官を外務省に呼び、遺憾の意を伝えて抗議した(「産経」「日経」8日朝刊)。その詳細は不明だが、漁船が海保の巡視船に「意図的」に突き当たった「公務執行妨害」容疑であることは伝えられているとは思えない。

 中国外務省の宋次官は8日に丹羽中国大使を呼び、「衝突は日本の策略だ」と「強い抗議」(「朝日」「日経」9日朝刊)、日本側は「粛々と日本の国内法に基づき」と述べるのみで、中国側への「抗議」の様子は見受けられない。

 「日経」9日朝刊の「略式起訴による罰金刑などで早期決着」との観測記事や「悪質だ、映像がきめ手」(「朝日」9日夕刊)などの情報も、14日の民主党の代表選の記事に埋もれていく。

 04年の事件は「確信犯」の行為だが、今回は悪質とはいえ「偶発性」の要素が強い。初動の日本の「外交オンチ」と勝手な思い込み、そして中国の抗議がエスカレートすると無定見に釈放した政府首脳の責任は重い。

 APECで胡錦涛主席との22分の会談ではまともに相手の顔を直視せず、ボソボソと「戦略的互恵関係」とつぶやく菅総理を見ていると情けなくなる。福田内閣がやっとこぎつけた「ガス田の共同開発」こそが「戦略的互恵関係」の構築であり、尖閣諸島の実質的領土問題の処理となる筈であったが、終わってみればオバマ首謀の「中国包囲網」にマンマとはまってしまっている。

 オモテで「ケンカ」をさせておいて、ウラでホコを収めさせる「大人」たちがいなくなったいま、争いは当事者同士で解決しなければならない。

 菅さん、ケンカは堂々と真剣にやりましょう、しかし憎しみあってはならない。これが冒頭の、田中―毛会談の、ケンカ論の原則である。

 執筆者・はらだ おさむ(原田 修)  

     【執筆者略歴】  大阪外大仏語科卒業(1957)後、中国ビジネスに取り組むこと半世紀。前半の25年は輸出入、委託加工、「大中国展」催事(主宰)など。後半の25年は対中投資、進出企業の経営管理などのアドバイザー。初訪中(1964)のあと200余回の訪中&中国を周辺諸国から観察の旅。会社役員、団体役員を歴任。数年来「市民講座」などの常連講師のほか、『中国ビジネスえとせとら』、『徒然中国』を業界紙などに連載・送信中。

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