中国街角ウォッチ

あのころ・そのとき「~ケンカのあとで・・・~」

2011.03.02

 ~ケンカのあとで・・・~

 ケンカには別にルールがあるわけではないが、ケンカ慣れというか、ケンカの上手下手ということはあるだろう。

 もう、いまの上海で見かけることはなくなったが、二十年ほど前の交通渋滞のころ、自転車と人とか、クルマとの接触で、街のあちこちでケンカの成り行きを見守る野次馬の人だかりを見かけることが多かった。

 一度はわたしの乗っていたタクシーが自転車に接触、乗っていた人が自転車ごと横転したことがある。運転手は飛び降りて、倒れた人を助けるかと思いきや、接触したボンネットをチェックしたあと、まだ起き上がらない自転車の人に罵声を浴びせかけた。わたしはクルマのなかから、ことの是非はともかく、それはないだろう、先ず倒れた人をおこし、怪我の有無を確かめてから、事故の原因を追究すべきではないかと思ったが、上海の友人に言わせるとそれはアマイ、そんなことをしたら、逆に自転車の方がつけあがって損害賠償、治療費を要求するだろうとのこと。倒れた人はやおら立ち上がり、周りを取り囲みはじめた野次馬に向かって運転手をなじりはじめた。運転手はベッとつばを吐き、わたしを乗せたクルマを発進させた。自転車が交差点でもないところを渡ろうとしたんだ、ということなどをしゃべったようだが、わたしは無言のまま。運転手は前に向きなおってクルマを走らせ続けた。

 こんなこともあった。

 文革のさなか、春秋二回の広州交易会しか中国との商談が行われなかったころのこと。日本の関係団体が現地に事務局を設けて参加者の便宜?を図っていた、まだ日中の国交が正常化されるはるか前のことである。

 「友好商社」として実績を積み重ねていたわたしの会社は、中国のいろんな貿易公司と取引があった。輸入商品のひとつに欠陥があり、日本の税関の検査機関で証明を受けてその商品を送り返し、損害賠償を求めたことがある。年二回の交易会しか商談のチャンスがない当時のこと、手紙などでこちらの主張を述べていたが返事がない。この会期内に決着を図ろうとしたが、相手は話合いにも応じてこない。埒が明かないので、中国側の裁定機関に提訴、決裁を求める手続きをしたところ、日本の現地団体事務局から提訴取り下げの要望が出された。そんなことをしたら、「友好商社」の指定を抹消されるかも、というのである。わたしの方になんの非もない、悪いのは先方の貿易公司(その分公司=支店)、それが「非友好」で「友好商社」たる資格云々とされるなら、いいでしょう、中国との商売はやめる、と事務局の姿勢(おもねり)を非難、突っぱねた。その夜、相手の当事者(分公司)がわたしのホテルに訪ねてきて、提訴を取り下げてほしい、あなたのクレームの賠償金は全額支払うと述べたが、時すでに遅し、裁定は翌日午前に決まっていた。わたしは相手側にも“お裁きの場”に出廷して、「和解」が成立したことを話そうと告げた。翌日、わたしは裁定の場で“雨降って、地固まる”と和解の成立を述べ、相手側と握手した。

 その後、わたしの会社の商売に何の影響もなかった。

 ただ、相手の担当者はどこかへ飛ばされ、その窓口とは数年間冷たい関係が残ったが、それは商売上何の痛痒も感じなかった。

 もうひとつ思い出した。

 はじめての合弁企業設立交渉のとき、前例も、実施細則もない手探りの商談が続いていた。あるとき話し合いが行詰まり、先方の高飛車な要求に思わずテーブルを叩いて大声を上げてしまった。普段声を荒げて怒鳴ったことのない“ホトケの原田さん”は、手が震えて顔面蒼白、先方も一瞬息を飲み込んだ。あとのわたしは、無言の行。相手も席を立ったまま、別の担当者同士が事務的な打ち合わせをしていたところ、昼休みになり、一緒に食事をという(当時食料切符=リャンピャオがなかったら、外国人はホテルでしか食事が出来なかった)。相手が設定した食堂でテーブルを囲んだが、そのときの食事の気まずいこと・・・。と、隣の食卓で、先ほどまで隣室で大声を張り上げて談判していた華僑とその相手が笑いながら箸を動かしていた。商談の中身はわからないが、仕事上の争いを人間関係にまで及ぼしてはならない、と身につまされる思いがした。

 怒り上手に、怒られ上手。

 このとき怒鳴った相手はその後、日中第一号(上海における製造業)の合弁企業の初代董事長に就任、苦楽を共にする仲間となる。

 ケンカの思い出を綴ってきた。

 とにかく昨今の日中間に漂う雰囲気が面白くないのである。

中国でも「李鴻章(売国奴)になる」とする後ろ向きの発言をする人もいるようだが、日本でもこのときとばかり「中国脅威論」を振りまく人たちがいる。

一衣帯水の日中両国は、お互いに引越しの出来ない大切な隣邦である。

この両国の関係を規定するのは二つの共同声明(72年、08年)とひとつの平和友好条約(78年)であり、これは日本の国会で批准され、中国においても共産党の重要文献になっている。日中両国ともこれから逸脱することは認められない。

ケンカは大いに、声を出してやりましょう(相手の顔も見ずに、ボソボソとつぶやくのはやめること)。しかし、憎しみあってはならない。

これが、ケンカの原則である。

小泉内閣のとき、「靖国参拝」をめぐって侃々諤々としたときもあったが、日中関係の枠組みはきちっと維持されていたと思う。

いまは、言葉だけの“おもねり”、基本的な軸がぶれているのではなかろうか。また心中の“マグマ”がたまってきた思いがする、きょうこのごろである。

(原田 修)

【執筆者略歴】
 大阪外大仏語科卒業(1957)後、中国ビジネスに取り組むこと半世紀。前半の25年は輸出入、委託加工、「大中国展」催事(主宰)など。後半の25年は対中投資、進出企業の経営管理などのアドバイザー。初訪中(1964)のあと200余回の訪中&中国を周辺諸国から観察の旅。会社役員、団体役員を歴任。数年来「市民講座」などの常連講師のほか、『中国ビジネスえとせとら』、『徒然中国』を業界紙などに連載・送信中。

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