中国面面観

あのころ・そのとき「~みずのわ放送局~」

2012.03.28

 みずのわ放送局。

 これは、北京在住の日本人、山田晃三さんのサイトの題名である。

 ことしは日中国交正常化四十周年のとしであるが、七二年のあのころ山田さんはまだヨチヨチと一人歩きをはじめたころであったか。いまは、中国風にいえば「人到中年」となり、初訪中が「六・四」の初春だそうだから、いまや「老北京人」(ラオ・ペイジンレン)といえる。

 わたしがはじめて山田さんにお会いしたのは、今世紀のはじめ、二千年の初秋に神戸で開催された日中関係学会の総会の席上であった。

 日中関係学会の創立にいたる経緯は詳らかには知らないが、故高橋正毅弁護士は設立発起人のひとりであった。かれとは対中投資を始めた八十年代からのつきあいで、専門家と実務家との交流を図るべく、わたしの協会で定期的に勉強会を開催していた。「六・四」のあと、困難な状況下であったが、「中国総合研究所」の設立を進め、対中投資を専門的な視野からフォローアップする体制を整えつつあった。そうした付き合いのなかで、わたしも関西日中関係学会の会員になっていたが、九六年のかれの急逝でその企画は頓挫した。その後しばらくして関西日中関係学会再建のため当座の連絡所として、わたしの方に本部役員から依頼があり、いつのまにかそれが関西事務所になっていった。

 山田さんとお会いしたそのとき、わたしは総会のパネリストのひとりになっていた。壇上には竹内実先生ほか諸先生に加え、中国からの女優さんもひとりつらなり、山田さんが通訳されていた。どういうテーマのパネルディスカッションであったのか、いまではまったく記憶が喪失しているが、そのあとのレセプションで山田さんが昆劇の荒技を披露されていたとき、わたしはこの女優さんにアタックしていた。カイ・リーリさん、NHKの「大地の子」で主人公・陸一心の恋人役を演じた女優さんである。彼女の来日には、どういう仕掛けがあったのか知らないが、同テレビドラマの時代考証をされた竹内先生の発案があったのかもしれない(陸一心の父親を演じた中国の名優・朱旭さんはこのとき都合がつかず、翌年の神戸での“道化座”公演時には来日された)。

 わたしはこの総会の直後に、日中友好協会創立五十周年祝賀訪中団に参加して 北京を訪問することになっていた。わたしはひと仕事をおえた山田さんに、北京でカイ・リーリさんと再会する約束を取り付けてもらった。

 北京で彼女に案内してもらったナイトクラブでの話は、いまも思い出すことがある。

 山田さんのこのサイトを教えていただいたのは、長年中国の貧困地区の児童や北京の民工学校で自作の絵本(日中両文)を読み続けてきているNさんである。

 「私の知るかぎりでは、中国と細く長く付き合ってきた人たちは、企業家でもなければお金持ちでもない。日本で質素な生活を送るごく普通の人たちだった。中国に深い思い入れがあり、生活費の一部を割いてボランティア活動をしてこられた人が多かった。・・・こうしたこれまで地道に交流を続けてこられた、いわゆる井戸を掘ってきた人たちは、いまの中国では歓迎されない」(第8回「ボランティア春秋」一〇年一月)と語る山田さん。

 わたしの『徒然中国』の読者でもあるNさんは、ときおりその読後感を送ってくださる。これは一昨年十一月のメール。

 「北京には『バッキャロウ』はないけれど、湖南の山奥では蔓延しています。

ホテルのTVはCCTVの限られたものだけ、老舎の『四世同堂』の日本鬼子が出てくる部分だけ。道で出会う若者は遠くから「ミシ」「ミシ」(メシ)と言ってはどっと笑う。

 二三度、不快を掃いたくて、突っかかって行って、まもなく仲良しになりました。『TVで日本人がいつも言ってるよ』、中国人の友人でもこのTVを見て不快を覚える人もいますが、実態をはっきり知りたいと思いつつ、果たせないでいます」  昆劇の愛好家で、この二十年来のほとんど毎日、北海公園で練習してきている山田さんは、〇二年から何度か抗日映画やドラマに出演、〇四年大学院終了時には芸能事務所からもお声がかかるほどだったという。

 「『絶対に許せない』『中国に魂を売った』などと抗日映画に出演する同胞(山田など)を非難する日本人は多い。・・・建国後、中国共産党は多くの抗日映画を作ったが、そのほとんどが八路軍の兵士が遊撃戦で“日本鬼子”をやっつける勧善懲悪物だ。日本兵は背が低く、黒縁の丸眼鏡を掛け、鼻の下にちょび髭をはやし、腰抜けのように描かれ・・・映画はこれでもか、これでもかと日本軍の残虐性を暴いていく・・・抗日映画の作風に変化が生まれたのは、映画『鬼子来了』(邦題『鬼が来た』)が初めてといわれる。・・・八路軍の兵士は登場しないし、日本兵もステレオタイプではなく、生身の人間として描かれている。カンヌ映画祭でグランプリを受賞したが、中国では上映禁止となった。しかし、海賊版DVDが市中に出回り中国でも大きな反響を呼び、多くの監督がこの作品を目標に抗日映画を撮るようになった。・・・市場経済のいま、テレビや映画はエンターテイメントが主流で、視聴率と興行収入の良し悪しが最優先される。共産党軍だけが日本軍と勇敢に戦ったようなプロパガンダ作品を作ったとしても、誰も興味を示さないだろう」(中国の抗日映画1、2、09年7月、8月)。

 わたしの訪中はすでに二百回をこえるが、駐在経験はない。一番長いのが第一回の六四年の二ヶ月余。国交正常化まではビザの関係でできるだけ長くと頑張っても、国内の業務のからみで一月が関の山。八十年代は二週間以内。九十年代は十日以内と短縮、仕事をやめたいまは三泊四日で年二回ほどに減ってきている。

 九十年代の初め、工場内の宿舎ですでに三年以上駐在していた日本人の総経理から、たまに来てなにがわかるかとケンカを売られ、同じところにじっと居るだけでは“井の中の蛙”、中国の動きがわかっているのか、と突き放した。  このところ中国に駐在する日本人は多いが、日本人だけと付き合い、中国の人と交流の少ない人は、いくら長く中国にいても「中国理解」の乏しい人が多い。

 山田さんはすでに北京滞在二十年、中国人社会の「中国語圏」のなかで生活しておられる。この「みずのわ放送局」は一回が数千字、キチッとテーマを掘り下げて、政治の難しいテーマも双方の理解のプロセスを明らかにして説得力がある。とりわけその映画時評は、裏話も含めて興味がそそられる。

 この放送局は、今年の四月で開局満三年、すでに十九編が発表されているが、今年になってからはまだ一篇も発表されていない。最近、日本語講座の初級班と上級班の講師を担当されているとかでタイヘンだろうが、また直近のテーマで中国情報を届けてほしい。

 「みずのわ放送局」はインターネット検索で、すぐにそのホームページに到達する。是非その全文を閲覧していただきたいものである。

・・・みずのわ、水の輪、静かに、波紋を広げていく、みずのわ。

(原田 修)

         【執筆者略歴】
大阪外大仏語科卒業(1957)後、中国ビジネスに取り組むこと半世紀。前半の25年は輸出入、委託加工、「大中国展」催事(主宰)など。後半の25年は対中投資、進出企業の経営管理などのアドバイザー。初訪中(1964)のあと200余回の訪中&中国を周辺諸国から観察の旅。会社役員、団体役員を歴任。数年来「市民講座」などの常連講師のほか、『中国ビジネスえとせとら』、『徒然中国』を業界紙などに連載・送信中。

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