中国面面観

あのころ・そのとき「~傷ついた鳩~」

2012.11.21

 阪急宝塚線曽根駅の東、豊中市立中央公民館前の道路脇にひとつの碑がある、三義塚である。

 これには一羽の傷ついた鳩をめぐる西村真琴博士と中国の文豪・魯迅との交流をめぐるエピソードがある。

 もう八十年ほどむかしの、昭和6年のこと。

 満州事変の勃発後、西村真琴は医療奉仕団を組織して中国に渡り、戦争の被災者救援活動を続けていた。あるとき戦火で廃墟になった上海の街「三義」で一羽の傷ついた鳩を見つけ、日本に持ち帰って育てた。西村真琴はこの鳩を「三義」と名づけて講演会にも連れて行き、「三義」と仲良しになった日本鳩との間に小鳩が生まれたら、平和と友好の象徴として中国へ送り届けるつもりとも話していた。

 だが残念なことに「三義」は西村の豊中の自宅でいたちに襲われ、不慮の死をとげた。かれは「三義」をスケッチして、つぎの一首を添えて魯迅に送った。

西東 国こそ違え 小鳩らは 親善あえり 一つ巣箱に

 感激した魯迅は「題三義塔」という詩(七言律詩)を書いて西村に贈った(一九三二・六・二十一)。「塔」は西村の自宅の庭に葬られた「三義」の墓碑である。

 この詩の最後の一句「相逢一笑泯恩讐(相逢うて 一笑すれば 恩讐ほろびん)」は中国の人なら誰でもが知っている、有名なフレーズである。

 わたしは今年の六月「西域のたび」の最後の一日を上海で過ごし、魯迅記念館で「魯迅と日本の友人」の展示を見た。この「三義塔」をめぐる魯迅と西村真琴の交流、そしてこの詩「題三義塔」の展示も見た。

 案内してくれたのは、東京での「魯迅と日本の友人展」(主催:上海市人民対外友好協会、上海魯迅記念館、東京中国文化センター)の開幕式から帰国したばかりのZさんであった。そのとき、十二月開催の豊中展のことも話題にのぼったのであるが・・・。

 九月中旬、あの小さな島の問題で中国各地は「愛国無罪」を叫ぶ若者たちで荒れ狂い、鄧小平の要請にこたえて松下幸之助が中国進出の先陣を切ったパナソニックの工場やジャスコ、平和堂などのショッピングセンターが破壊され、暴徒に略奪された。

 日中国交正常化四十周年のこの秋に、なんたることを!

 そのとき、たまたま北京にいたわたしの友人はつぎのようなメールを送ってきた(奥さんが日本人の中国人画家が、北京の友人から聞いた話)。

 「中国人の多くは、自分の国を一流の国だと偉そうに思っていたことだろう。しかし、今回のデモで、そうでないことがはっきりと分かった筈だ。そして、この国を構成している国民の中に、どれだけ多くのレベルの低い人たちがいるかを世界中の人びとに知られてしまった」

 毛沢東の写真を掲げて荒れ狂った「愛国無罪」の暴動は、自然発生的なものかどうか、まだまだ検証され、議論もされるであろうが、これは、いまおく。

 事件直後の、わたしが耳にしたのは24日のことであるが、この豊中の「魯迅と西村真琴」展が「上からの指示により」中止と上海の担当者から伝えられたとのこと。まだ三ヶ月も先の行事であるのに・・・。

 それよりも驚いたのは、10月6日にびわ湖ホールで開催の「日中オペラアリーナーの夕べ」に出演することになっていた主要メンバーが不参加となり、急遽欧州で活躍中のメンバーの友情出演とあいなった。中国はあの小さな島の問題を「核心的」対象ととらえ、これまでの友好の歴史と文化交流のすべてを閉ざそうとしているのかと、心が冷える思いであった。

 九月末の谷村新司の北京公演も延期(中止)になった。その理由は明白ではない。不測の事態を避けるためというなら、中国の警備体制がそんなに信頼できないのかと逆に疑いたくなる。

 かれのヒット曲“昂”はこの十余年来中国でのスタンダードナンバーであり、カラオケでのヒットチャートの上位を占める中国の人たちの愛唱歌であった。

 それだけではない、かれはこの十余年来“上海アジア音楽祭”のオーガナイザーであり、主演者でもあった。04年からは上海音楽学院現代音楽部教授も兼任、音楽界における日中友好の架け橋にもなっている。「日中国交正常化四十周年記念事業」であるからダメとでもいうのだろうか、それではなんという狭い料簡ではあるまいかといいたくなる、味噌もクソも一緒では困るのである。

 九月末から十月にかけて、日中の知識人の声明が相次ぐ。

 先ず日本で作家の大江健三郎さんなどの声明「『領土問題』の悪循環を止めよう!」が発表され、これに刺激を受けた中国人の作家崔衛平さんが五人ほどの仲間と文案を練って十月四日にネットで「中日関係に理性を取り戻そう」と声明を発表、十三日現在ですでに六百人以上の署名が集まっているという(中国での署名は当局の注意・拘束の対象ともなる“勇気”のいる行動である)。東京新聞とのインタビューで崔さんは「領土争いを民間交流に影響させてはいけない。暴力的行為をしたのはほんの一握りで、ほとんどの人は理性的な考え方をしているのに、皆沈黙していた。・・・ネット上では政府と異なる意見も多い」と述べている。

 そうだ、黙っていてはいけないのである。

 十一月二十五日に開催される北京国際マラソンのホームページ上のエントリ―欄に日本国籍欄がないことを在北京の日本大使館員が見つけ、中国国際陸上協会に抗議、それが日本のメディアで報道され、中国のネットに転送されて騒ぎが大きくなった。この「日本外し」について、「(中国は)国際社会で大恥をかいた」「スポーツ精神に反している」「国際大会なのに視野が狭い」など大会組織委員会に抗議が殺到、十日同協会の沈純徳副主席は「北京マラソンへの日本マラソン愛好者の参加を拒否していない」と公式に声明する羽目になった(「レコードチャイナ」10月11日)。

 潮の目は変わりつつあるのだろうか、いや、これは変えなければならない。

 この小さな島の問題は、〇八年五月、胡錦涛主席と福田総理の両者で協議・調印された、いわゆる「戦略的互恵関係の構築」からみれば「核心的問題」にはならないと、わたしは思っている。

 そこで思い出すのは四十年前の国交正常化のとき、周恩来総理が編み出した「求同存異」(小異を残して大同に就く)の考え方である。

 九月末に放映されたNHKBS1スペシャル「1972年“北京の五日間”こうして中国は日本と握手した」の制作者の鬼頭春樹さんがそれを本(NHK出版)にまとめられているが、そのなかで、中国共産党中央党史研究室研究員の章百家氏が「求同存異」を外交史のなかで高く評価して次のように述べたと紹介されている(P115)。

 「『求同存異』が周恩来外交の非常に重要な思想であるのは確かです。なぜなら周恩来自らもこう言っています。世界各国の歴史文化の背景はそれぞれ異なり、政治制度も異なるため、差異にこだわるなら合意は不可能で、双方の関係の発展を促すことはできない。だからこそ双方の共通の利益と共通点を探し出すことが大事だ。そうすれば国家間の関係が発展し、それでこそ世界平和を守ることができるのです。その背景には周恩来の、非常に思考の切り替えがうまく、相手の困難などを思いやることができる才能が挙げられます。だから彼は中国の思考法を相手に強制せず、いつも双方が受け入れられるような方案を探していました」

 問題を解決するには、犬の遠吠え、「遠交近攻」ではダメである。

 中国の人なら誰でもが知っている魯迅の「相逢一笑泯恩讐(相逢うて 一笑すれば 恩讐ほろびん)」を地で行く外交を早く展開してほしいものである。

(原田 修)

【執筆者略歴】
 大阪外大仏語科卒業(1957)後、中国ビジネスに取り組むこと半世紀。前半の25年は輸出入、委託加工、「大中国展」催事(主宰)など。後半の25年は対中投資、進出企業の経営管理などのアドバイザー。初訪中(1964)のあと200余回の訪中&中国を周辺諸国から観察の旅。会社役員、団体役員を歴任。数年来「市民講座」などの常連講師のほか、『中国ビジネスえとせとら』、『徒然中国』を業界紙などに連載・送信中。

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