中国面面観

あのころ・そのとき「~鬼城~」

2013.09.10

 このところ“会うが今生(こんじょう)のわかれ”とか称して、数人の学友たちとの年二回の一泊旅行が続いている。
 今年の春は、岡山の総社(そうじゃ)に一泊し、鬼ノ城(きのじょう)に足を延ばした。かなり険阻な山頂に遺跡が発掘され、古代山城と認識されたのはまだ40年ほど前、国の史跡指定は1986年とのことである。

 山頂の古跡に設けられた砦ふうの展望台から、古代吉備国の中枢地・総社平野が望め、その先に四国の山容がかいま見れる。
 “桃太郎伝説”は人口に膾炙して、その本家あらそいはかまびすしいが、当地ではその“黍団子”は「吉備」ダンゴに通じるとその“歴史”をつむぐ。
 ひとつは古代大和政権と吉備国との対立、もうひとつは白村江の戦いに敗れた「倭国」を攻める「異国の王子・温羅(うら)」の伝説。後者では吉備国に舞い降りた「温羅」の悪行退治のため朝廷から派遣された「吉備津彦命」が“鬼退治”に成功するおはなしであるが、それを裏付ける史料は乏しい。江戸の草双紙『桃太郎』『桃太郎昔話』で広まったものといわれているが、その端緒は室町時代にも遡るとのこと。

 中国にも「鬼城」が出現してきているが、ご存知だろうか。

 改革開放後の“産物”で、わたしの「岩波・中日辞典」(1983年版)には載っていないが、中国のいまの世相を象徴している。「グイ・チョン」は“鬼”(幽霊)の住む屋敷、つまり“ゴーストタウン”のこと、90年に土地使用権の有償譲渡が認められてからの“新生事物”(このことばもいまでは“死語”であろうが)である
 いまの“80后”たちが生まれたころ、上海など都市の住宅は極度に払底し、愛し・愛されて結婚した彼らの両親に“愛の巣”はなく、たまの休日には祖父母が公園などで日永時間をつぶして、孫の誕生をサポートしていたものである。
 南市区の石庫門住宅街などでは、一戸に2~3家族が同居、その居住性を改善するため大阪から専門家を派遣、共同考察なども実施した。
 85年9月には大阪の専門家(建築士、不動産鑑定士、弁護士)の「上海経済区房産視察団」を常州・無錫・上海に派遣、趙紫陽改革の実験住宅などを視察したことがある。
 常州の“実験住宅”は建築コストを市・企業・個人が各三分の一負担するという新しい住宅政策の“実験”であった。使用権、相続権(親子二世代)は認められるが、転売は認められない、いわば実質家賃の先払いといえた(『上海経済交流』第3号)。居住者の満足気な応対に、わたしたちもこころ和んだが、無錫の関係者は「住宅の私有化は社会主義でない」と否定、上海から同行の通訳も「私有が認められるのはテレビまで」と言い放った。
 90年4月の「浦東開発宣言」で国有地使用権の有償譲渡が認められ、当初は外資導入策として活用された。上海の行政組織「房地産(家屋・土地)管理局」はふたつに分離され、朱鎔基市長(当時)の呼びかけで「住宅基金」の積み立て(企業と本人が各50%)がはじまった。やがて国営企業改革の推進で、社宅の分譲がはじまり、住宅の私有化が進む。才気ある人はこの転売、買収などでふところを豊かにし、新しいマンションなどの建築需要を産み出す。老朽市街区の再開発をめぐっていくつかの汚職・疑獄も発生するが、庶民側から見たこの時期の住宅トラブルは、映画『上海家族』が赤裸々に描きつくす。

 90年代の終わりごろであったろうか、まちづくりプランナーの知友から相談を受けた。上海の某大学の知人から中国での共同事業の提案を受けているが、どう対処したらいいかと。わたしは合作経営方式での処理をアドバイスした。
 第一号のプロジェクトは、上海の浦東地区であったと記憶する。かれのプランしたスケッチのいくつかは大阪で他の同業者たちと拝見したが、中国のこれまでのまちづくりに見られない雅趣があった。プランだけで完売された、なんでも温州閥のグループ購入であったとか耳にする。日本ではこのような70年間の借地権付償却資産に過大投資するひとは多くはないと思うのだが・・・。

 後日かれにその後の状況を聞いたところ、入居者は少ないという。

 かれの、この花園住宅の設計コンセプトは、園内に流れる小川のほとりで孫の手を引いた老婆がたたずむ、ということにあったが、“鬼”の住む館になってしまっていた。“ゴーストタウン”のはじまりである。
 かれは、その後もパートナーの要望で、成都、青島、大連・・・のまちづくりに参画するが、プランナーとしての充実感を味わえないと口ずさむ。

 数年前、上海で中年のドライバーのタクシーに乗った。

 かれの郊外の住宅はまだローンが残っており、息子の結婚をサポートしてやれない(中国では花婿が住宅を用意する)と嘆いていた。いまどきの上海では、住宅のない青年は女性から見向きもされないというが、70年代の日本で一世を風靡したとも言える「かぐや姫」のあのうた、♪三畳一間の小さな下宿♪(「神田川」)から新生活を営むカップルはもう中国にもいないのであろうか・・・。

 話は変わるが、昨今の日中関係で日本からの訪中団は激減、知り合いの中国の旅行社の日本部長はいまカナダ旅行も兼任、結構忙しいと耳にした。

 それで思い出したことがある。
 香港のAさんのことである。

 カラフト生まれ、上海育ちのかれは、上海解放のとき香港に脱出、小さなみやげ物商を営む。わたしは初訪中時の64年から、日中間の直接往来が定着するまでの間、毎年なんどかの中国との出入時にかれのお世話になった。
 香港の中国返還が話題になりかけたころ、香港の商人たちのカナダへの脱出が話題になった。Aさん夫妻も大金をはたいてカナダ国籍を取得した。すでに長女は在米華僑と結婚、次女はシンガポール大学、長男はジュネーブの高校に留学中であった。かれはわたしに、世界各地に同胞あり、これが中国人の処世術と語って、香港からカナダへ移住した。

 その数年後、かれと大阪で再会した。

 カナダでは商売にならないので香港に戻っている、家と国籍はカナダにあるが商売は香港、また立ち寄ってください、とのことであった。

 朝日新聞デジタルには、つぎのようなレポートが載っている。

 「カナダは、移民を目指す中国人にとって『天国』と称される。80万カナダドル(約6千4百万日本円)の投資などをすれば移民できたためだ。・・・07年ごろからは中国からの移民が急増した。いまや(バンクーバー)人口の2割にあたる40万人の華人が暮らす。
 バンクーバーで不動産業を営んで20年以上になるという華人の男性は言った。『党や政府の幹部の多くは、まず妻と子供を移民させる』なぜか『幹部だからこそ分かっている。彼らにとって中国は、安全ではないということを』」(『紅の党』(2)「赤い貴族」たちの権力と蓄財)  90年の前後、「北京愛国、上海出国、広州売国」のザレことばをよく耳にしたものだが、いまではすっかり様変わりしているかのようである。

 在阪の中国人の友人は、こうもいう。

 いま罪を問われている人物のようなクラスで、汚職をやっていない人はいないと“老百姓(庶民)”たちは思っている。人気取りであったかもしれないが、低所得者向きの住宅をたくさん提供したことは、庶民のこころをつかんだ。“夢”よりも“実績”だよ、と手厳しい。   

 先日一週間ばかり入院したときのこと、可愛い看護士から「吸血鬼が採血に来ました」告げられた。こんな“鬼”ばかりだといいんだがなぁ・・・。

(原田 修)

【執筆者略歴】
 大阪外大仏語科卒業(1957)後、中国ビジネスに取り組むこと半世紀。前半の25年は輸出入、委託加工、「大中国展」催事(主宰)など。後半の25年は対中投資、進出企業の経営管理などのアドバイザー。初訪中(1964)のあと200余回の訪中&中国を周辺諸国から観察の旅。会社役員、団体役員を歴任。数年来「市民講座」などの常連講師のほか、『中国ビジネスえとせとら』、『徒然中国』を業界紙などに連載・送信中。

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